INTERVIEW

NANGA PEOPLE

HIROYUKI KURAOKA

HIGH ALTITUDE CLIMBING GUIDE

9回の登頂経験から生まれた、
“高所のプロ”のためのエベレストモデル

 倉岡裕之さんはセブンサミッツ(世界7大陸最高峰)ほか、エベレスト、マナスル、チョ・オユーといった8,000m峰の高所を舞台に活躍する山岳ガイド。高所ガイドのキャリアは20年近くに及び、9回のエベレスト登頂という、日本人最多記録を持つ。2013年には三浦雄一郎さんのエベレスト遠征隊に登攀リーダーとして参加、当時80歳の三浦さんの登頂を成功に導いたことも記憶に新しい。
 千葉県で育った倉岡さんが山に目覚めたのは小学5年生の時だ。本屋で立ち読みした登山の入門書に、剱岳を登るクライマーの写真が載っていた。理由もわからぬまま、そのシーンから目が離せなくなった。
「『人生決まったな』、そんな腑に落ちる感じがありました。とはいえ、周囲には剱岳のような山があるわけでもなし、小学生だから遠くまで山歩きに出かけることもできない。そこで登山家の本を読み漁って、クライミングを勉強しました。夜中にハーケンを持って出かけて、近所の岩壁を登ったね。家の柱にハーケンを打ち込んだ時は怒られたなあ(笑)」
 高校生で自己流のロッククライミングを始め、大学生になると社会人山岳会に入会して経験を積んだ。登るのはめっぽう強かったが、セルフビレイなど安全確保の方はからきし。先輩に呆れられながらクライミングの基礎を身につけ、初めてヒマラヤに赴いたのは21歳のときだ。それで高所登山にのめり込み、2003年のチョ・オユー登頂以降は7,000mから8,000m級の高峰を主戦場としている。

高所で無敵の最強ガイドを
末端の冷えから守る

 高所へのコミットぶりは身体つきからも明らかだ。エベレスト山頂の酸素量は平地の4割足らずゆえ、高所攻略のポイントは酸素と言われる。そんな低酸素状態に適応すべく、倉岡さんは7,000mで最も効率よく動ける身体を食生活の改善で作り上げた。高所でも体重を維持できるよう、減少が著しい体脂肪はなるべく落とし、かつ余計に酸素を消費する筋肉はつけすぎない。血管年齢は10代と同レベルにまで若返り、高所につきものの頭痛に悩まされることもなくなった。と、高所で無類の強さを発揮する“7,000mボディ”だが、唯一の弱点は末端の冷え。それを解消してくれたのがNANGAのダウン製品である。
「2017年にエベレストをガイドした顧客のスリーピングバッグがNANGA製でした。一見して良さそうだなと思いましたが、日本のブランドだと聞いてびっくり。その後、四谷の山道具店『デナリ』の店主を通じて、NANGAと一緒にエベレスト用のダウンワンピースを作らないかと持ちかけられたんです」
 当時使っていたのはアメリカ製のワンピース。日本製とはサイズ感も違うし、使い勝手もいまいち。そこでそれを改良してエベレストモデルを作ることになった。ダウンの質をアップグレードし、重量を抑えたまま保温性を向上。ファスナーの位置やベンチレーションの仕様もアレンジしてもらった。
「エベレストの氷河では、太陽が出ると体感温度は50度近くに感じるし、隠れるとマイナス20度くらいになる。その間、ダウンワンピースは着っぱなしなのでベンチレーションの開閉だけで体温を調節できるよう、いろいろ工夫してもらいました」
 このダウンワンピースと同じくらい重宝しているのが特製スリーピングバッグ。こちらも倉岡さんの意見を取り入れたエベレスト仕様だ。
「ロフト感があって保温力があるのに、ものすごくコンパクトになる。生地もしなやかで寝心地がいい。世界中のどのベースキャンプでも熟睡できると保証しますよ」
 最強の肉体と頼りになるダウン製品を手に入れて、もはや高所では敵なしなのである。

HIROYUKI KURAOKA / 倉岡裕之 (くらおか・ひろゆき)
NANGA PEOPLE

HIROYUKI KURAOKA

倉岡裕之(くらおか・ひろゆき)

1961年、東京都生まれ。中学3年の時に独学で登山をスタート。大学生で社会人山岳会の扉を叩き、本格的な登山を始める。21歳で初めてのヒマラヤ遠征を体験。翌年、世界最大の落差を誇るベネズエラ・エンゼルフォールを登攀、翌々年には映画『植村直己物語』のスタッフとして北米最高峰のデナリに登頂する。2004年にエベレストを初登頂、2018年には9回目の登頂に成功している。プロスキーヤー三浦雄一郎のチャレジにおけるサポートでも知られており、2013年はエベレスト遠征、2019年にはアコンカグア遠征に帯同した。