INTERVIEW

NANGA PEOPLE

HIROTAKA TAKEUCHI

MOUNTAINEER

その時代の最先端の登山を
伝えていきたい

 世界で29人目、日本人唯一の8,000m峰全14座の登頂者である竹内洋岳さん。14座の内11座は無酸素登頂と、これも日本人最多記録だ。
「2012年5月に14座を終えると、当然のように次は北極ですか? 南極ですか? と聞かれました。海外の登山家の多くがその道を辿るからでしょうか。しかし私は高いところが好きなのです。特に未踏峰への興味が尽きません」
 パンデミックによって海外遠征が規制された2020年にあっても、竹内さんは挑戦をやめなかった。#妄想エヴェレスト登山 と題してオンライン上でかつてない登頂を披露する。
「#うちで登ろう というハッシュタグと共に、SNS上であたかもエヴェレストに登っているかのように相手を錯覚させる投稿を行いました。過去の写真や経験を駆使し、タイムリーに準備からサミットプッシュ、登頂までを配信していきました。“その時代の最先端の登山をする” これがプロ登山家の役割です。山に行けない状況下で、最先端の技術を駆使して登山するとは何だろう、その問いの答えになったと思います」

化学繊維ではとても及ばない
ダウンという天然素材の価値

 100年前の最先端とは? 50年前の最先端の装備やスタイルとは何だったのか。ギアや素材の進化によってどのように登山が変化していったのか。竹内さんは模索し続けている。
「1924年にエヴェレストへの初登頂を目指して行方を絶ったジョージ・マロリーは、ハリスツイードのジャケットにバウワーのコートを着て、乗馬ズボンを穿いていた。装備は麻のロープ、鉄のボンベ、ウッドシャフトのピッケル。当時アイゼンがまだ発明されていませんので、ナーゲルという爪を靴に打ち付け、8,500mを突破したのです。その写真をみると、なんて粗末な装備なのだと驚きますが、それは、その時代においての最先端の装備だったわけです。私たち登山家は、その時代の最先端で最適な道具を選びとり、その道具によって自分を高められるのかどうかを問い続けているのです」
 NANGAブランドを象徴するダウンを、竹内さんは道具としてどう捉えているのか。
 「天然素材のまま加工をせずとも、保温性があってコンパクトに縮小する。極めて合理的な素材です。そして化学繊維ではまだまだ及ばない代物でもある。それは機能面だけでなく、サスティナブルな面で捉えてもダウンをつくる上での雇用、文化、歴史を支えるすべてを考えたときに、化学繊維ではとても及ばない。一方で、今後NANGAのような企業がいかに最先端のダウンをみせてくれるのか、すごく期待しています。中でも寝袋は、最先端になりにくいものだと思うんです。金属を使った山道具であれば、素材や形状の進化が想像できますが、ダウンという究極の天然素材と、すでに合理的な形状の寝袋。これをどう導いていくのか、楽しみですね」

社名の由来「ナンガ・パルバット」
という山の魅力

 NANGAという名前の由来は、世界に14座ある8,000m峰の一つ、Nanga Parbat(ナンガ・パルバット)にある。標高は8,125m、地球上で9番目に高い山である。この山が、世界の山岳史において語り継がれる所以に、イギリスのアルバート・フレデリック・ママリーという登山家の存在がある。かのママリーは、登山とは、頂上のみをめざすものではなく、より困難なルートから心身の極限を求めて登るものと主張。のちにママリズムと呼ばれ、アルピニズムの代表的思潮ともなった。
「ナンガ・パルバットとは、そのママリーが1895年に遭難し、己の命を持ってママリズムを実践した山です。彼が残したアルピニズムは私自身にも受け継がれています。今なお高みを目指し、挑戦の連鎖に身を置いているのも、ママリーの存在なくして語れないのです」

NANGA PEOPLE

HIROTAKA TAKEUCHI

竹内洋岳(たけうち・ひろたか)

1971年、東京都生まれ。立正大学客員教授。株式会社ハニーコミュニケーションズ所属。1995年のマカルー(8,463m)登頂を皮切りに、1996年には、エヴェレスト(8,848m)とK2(8,611m)の連続登頂に成功。アルパインスタイルも積極的に取り入れた速攻登山で8,000m峰に挑み続け、2012年に14座目となるダウラギリの登頂に成功。日本人初、世界29人目となる8,000m峰14座完全登頂を果たす。2013年、植村直己冒険賞、文部科学大臣顕彰スポーツ功労者顕彰を受賞。現在は、未踏峰への挑戦を続ける傍ら、登山経験を生かし、野外教室や防災啓発などの社会貢献活動にも取り組んでいる。